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近代化に寄与した大道トンネル

「#南オオイタレキシ旅2025」と大きく描かれたキャンペーン告知画像。ピンクの背景に白と赤の縁取り文字が映え、右下には黒い尾を持つ白い鳥のイラストが飛ぶ姿が描かれている。抽象的な模様や点線が散りばめられ、歴史と旅をテーマにした南大分地域のプロモーションらしい華やかで親しみやすいデザイン。 話題
#南大分レキシ旅2025

南大分レキシ旅/第7弾 大道トンネル

当時の市長である上田保が主導して昭和30年(1955)に開通

大道トンネルの入り口には、2つの禅語が掲げられています。

清風満地=こだわりや執着を持たない、さっぱりとした心境。大道無門=悟りへの大いなる道に、特定の決まった入り口はない。大道トンネルの入り口には、この2つの禅語が掲げられています。

南大分にある大道トンネルの写真(1954年頃)。レンガ造りの半円形アーチ構造のトンネルから、軍用風のトラックが出てくる場面が写されている。トンネル上部には「清風満地」と記された看板が掲げられ、周囲には工事資材や未整備の地面が見られる。地域のインフラ整備や輸送活動の一端を感じさせる、歴史的・実務的な雰囲気を持つ一枚。
1954年頃の大道トンネル(南口)。入り口の上に「清風満地」の銘が見える

市中心部と南大分を結ぶこのルートが歴史に登場するのは、慶長16年(1611)

同トンネルは、当時の市長である上田保が主導して昭和30年(1955)に開通しましたが、市中心部と南大分を結ぶこのルートが歴史に登場するのは、慶長16年(1611)のこと。府内藩初代藩主であった竹中重利は、新府となる府内に城下を移すにあたり、南郡から旧府(現在の大友氏館跡周辺)へのルートに加えて、南郡から山を越えて府内へと至る「堀り切り峠」をつくったのです。

しかしその道幅は人馬がやっと通れるほどの狭さ

しかしその道幅は人馬がやっと通れるほどの狭さで、領民たちは藩主に願い出て、峠の拡張工事を自ら行ないました。上村、古国府、賀来、内成、下市をはじめとする近隣の村民4500名が参加した安政6年(1859)の大工事は、わずか半月で完成したそうです。

どうしてこうも不便なのか!

そして20世紀初頭。中学生だった上田保は、先輩の福田平八郎の家から南大分へと帰る道すがら

「急な坂道を通らなければならない南大分は、どうしてこうも不便なのか!」

と憤りました。のちに大道トンネルの貫通を公約のひとつに掲げ、上田は市長に当選します。冒頭に紹介した禅語は、彼の晴れやかな気持ちをあらわしているのかもしれません。

南大分にある現在の大道トンネルの入口。淡い色のレンガで構成された丸みのあるアーチ型の構造で、上部には大型の電子表示板が設置されている。二車線の道路がトンネルへと続き、歩道にはガードレールや街灯、電柱が並ぶ。右側には草木や小型の設備、カラーコーンが見られ、周囲の住宅地と自然が調和した都市インフラの一部としての風景が広がる。
2025年現在の様子

Point

市中心部から見て右側のトンネルが昭和30年に開通した最初のトンネル。南北の入り口上に禅語の銘が刻まれている。

Access

所在地

大分市大字三芳

※地図の座標は大道トンネル南口です。

所要時間

JR南大分駅から徒歩約13分

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お問い合せ

大分市役所文化財課

097-537-5639

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