南大分レキシ旅/第7弾 大道トンネル
当時の市長である上田保が主導して昭和30年(1955)に開通
大道トンネルの入り口には、2つの禅語が掲げられています。
清風満地=こだわりや執着を持たない、さっぱりとした心境。大道無門=悟りへの大いなる道に、特定の決まった入り口はない。大道トンネルの入り口には、この2つの禅語が掲げられています。

市中心部と南大分を結ぶこのルートが歴史に登場するのは、慶長16年(1611)
同トンネルは、当時の市長である上田保が主導して昭和30年(1955)に開通しましたが、市中心部と南大分を結ぶこのルートが歴史に登場するのは、慶長16年(1611)のこと。府内藩初代藩主であった竹中重利は、新府となる府内に城下を移すにあたり、南郡から旧府(現在の大友氏館跡周辺)へのルートに加えて、南郡から山を越えて府内へと至る「堀り切り峠」をつくったのです。
しかしその道幅は人馬がやっと通れるほどの狭さ
しかしその道幅は人馬がやっと通れるほどの狭さで、領民たちは藩主に願い出て、峠の拡張工事を自ら行ないました。上村、古国府、賀来、内成、下市をはじめとする近隣の村民4500名が参加した安政6年(1859)の大工事は、わずか半月で完成したそうです。
どうしてこうも不便なのか!
そして20世紀初頭。中学生だった上田保は、先輩の福田平八郎の家から南大分へと帰る道すがら
「急な坂道を通らなければならない南大分は、どうしてこうも不便なのか!」
と憤りました。のちに大道トンネルの貫通を公約のひとつに掲げ、上田は市長に当選します。冒頭に紹介した禅語は、彼の晴れやかな気持ちをあらわしているのかもしれません。

Point
市中心部から見て右側のトンネルが昭和30年に開通した最初のトンネル。南北の入り口上に禅語の銘が刻まれている。
Access
所在地
大分市大字三芳
※地図の座標は大道トンネル南口です。
所要時間
JR南大分駅から徒歩約13分
大分市デジタルアーカイブ~おおいたの記憶~


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