今も変わらず受け継がれています
朝の通勤時間帯になると抜け道として利用する車が多い旧道
明磧の地名は、対岸の上宗方にある稙田大明神付近の河原「明(みょう)がわら」に由来するといわれています。明治18年に明磧橋が架けられると、堀切峠へ続く新道が整備され、南大分のメインストリートとして栄えました。現在、この旧道は朝の通勤時間帯になると抜け道として利用する車が多く、南大分小学校や南大分中学校へ通う子どもたち、高校へ向かう自転車通学の生徒、歩行者が行き交う交通量の多い道路です。これまでにも接触事故が発生してきました。
地域の子どもたちを思う温かな気持ち
そこで地域の安全を守ろうと、平日の午前7時15分から7時45分まで交通誘導を続けているのが、明磧自治会長の秦さん、前自治会長の田島さん、安永さんの3人です。代々受け継がれてきた地域ボランティアとして、「おはよう」と子どもたちに声を掛けながら、安全な登校を見守っています。歴史ある街道の風景は変わっても、地域の子どもたちを思う温かな気持ちは、今も変わらず受け継がれています。
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